自然、文化、および野生生物と人間との軋轢と共存

 
 
 


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  ラマン・スクマール
コスモス国際賞受賞記念講演


はじめに
 私が前回来日して以来16年経ちましたが、コスモス国際賞をいただいた栄誉で、この長い時間は特別価値あるものとなりました。この16年間で私の祖国インドは、いくつかの点で見分けがつかないと言えるほどの変貌を遂げました。来週1週間、日本を見て回る時間がありますので、この期間に日本がどれほど変わったか観察したいと思っております。古来の面影を残すインドと、産業社会日本との間には、南アジアおよび東南アジアの豊かな熱帯雨林が存在し、そこは、おそらく世界中のどんな生き物よりも人々の想像力をかきたててきたと考えられる2種類の動物、ゾウやトラの生息地です。ゾウとトラが生息するこの地域も変化しており、しかもその変化は急速です。そして、人間と自然との関係も同じく変化しているのです。

 人間は自然の一部ですが、他の種とは異なり文化的な進化を遂げ、自然界を見る影もないほどに変えられる力を手に入れました。おそらく生物界では、人間と人間以外の自然との関係ほど動的なものはないでしょう。ライオンのように危険な大型肉食動物やゾウのような巨大草食動物が多数生息する東アフリカのサバンナで、初期人類が進化を遂げて以来ずっと、人類はこのような自分たちより強い動物と闘ってきました。人間の技術と知恵は、こういった野生生物との相互作用の中で、最大限に使われてきたことでしょう。例えば、肉食動物の餌食とならないために、最も頭を駆使したはずです。人類は世界中の大陸に分布して自然生息地に変化をもたらしただけでなく、こういった動物を駆逐し、あるいは共存してきたのです。

 今日の講演では、狩猟採集から牧畜、農耕、都市の技術社会生活に至るまで多様な生活様式を持ち、多くの野生生物との間に軋轢を抱える現代の人類について話したいと思います。我々が、自然界の一部を保全するつもりであるなら、この相互作用を理解し、人間と野生生物の共存関係を促進することが必要不可欠です。野生生物と人間の相互作用に関して歴史的な経緯がどのようなものであろうと、今、我々は、現代の地球村―つまり科学技術の恩恵が、より発展した温暖な地域だけでなく、アメリカやアフリカ、アジアの熱帯雨林にある最奥の社会にまで及ぶグローバル・シティーとも言える世界―で起きている相互作用に目を向けなければなりません。

 野生生物と人間との間に直接的な軋轢が発生するのは、動物が農作物や農地を荒らしたり、病気を広げたり、家畜を殺したりするとき、またそれ以上に最悪なのが人間を襲った場合です。ゾウの群れ、あるいは巨大な雄牛の群れでさえも、トウモロコシ畑やサトウキビ畑に侵入すれば、わずか一晩で畑に壊滅的な被害を与えることは火を見るより明らかです。ゾウによる農作物の被害は、アジアとアフリカをあわせると、年間数百億ドルに上ります。人食いトラについては、今までも多くの書物で言及されてきました。20世紀初頭には、インドだけでも年間1000人以上がトラに殺されています。別の世紀の記録を紐解けば、インドネシアでも同じぐらいの人数がトラの犠牲になっていたことがわかるでしょう。ゾウとトラが人間との間に軋轢を生じさせる最も顕著な存在なのかもしれませんが、霊長類、アンテロープ、シカ、野生のウシやブタ、サイ、ライオン、ヒョウ、ハイイログマ、オオカミなど、他の動物も軋轢を起こします。この軋轢は、非都市部だけの問題ではなく、都市部でも増加しています。例えば、ヒョウは、インドの商業都市、ムンバイで市民との間に軋轢を引き起こしていますし、ゾウと人間の軋轢は、アジアの情報技術の中心都市、バンガロール郊外(私もここに住んでいるのですが)にも生じています。

 20年前から30年前でさえ、野生生物と人間との軋轢に関する問題や、その解決法を見つけることの必要性などに対する正確な認識は、保全の専門家たちの間でも不十分でした。今日、野生生物とその生息域を長期に亘って保全するには、地元住民の協力を得ることが必要不可欠であると明らかになっています。と申しますのも、地元住民は野生生物と生息域や資源を共有していますし、この軋轢を解消したいという地元住民の声が、政府や国際的な保全団体を通じて次第に高まっているからです。地元住民の協力を得られなければ、住民の財産や生命を守るためとして、野生生物は殺傷され続けることとなるでしょう。
 

環境的な観点からの野生生物と人間との軋轢
  このような軋轢をどのように減らすか、あるいはいかに解消するかという話題に入る前に、環境学的な観点から軋轢の原因を検証したいと思います。なぜ人間と動物の間に軋轢が生じるかについては、文学作品により数々の伝承が伝えられており、その数は、大衆に好まれる空想上の物語に匹敵するかもしれません。例を挙げると、ゾウは飢えたときにしか農地を荒らさないとか、トラが人を襲うのは、怪我をして狩ができないときだけだ、などというものです。こういった認識には、多少の真実も含まれていますが、多くは科学的に説明不可能です。私がこれまで耳にしたなかで最も長く語られている伝承のひとつは、人口の多いアジアの飢えた農民の農場を、飢えたゾウが荒らすというような暗喩です。こういったゾウを見た人はだれでも、そのゾウの多くが、全く飢えていないことを知っているのです! 軋轢の一部は、人間が醸造し家の中に蓄えている酒をゾウが好むことによって引き起こされていると、簡単に説明することができます。

 私がより精通している2種類の動物―草食動物(ゾウ)と肉食動物(トラ)―と人間との軋轢の根本的な原因を検証します。また、適当な他の例も紹介するつもりです。

  生物学者、特に進化を研究している学者は、2種類の根拠を示すことを好みます―ひとつは、特定の行動に対する直接の衝動である「直接原因」で、もうひとつは、「究極原因」、つまり進化の観点からみた行動です。歴史的にゾウと農作物に軋轢が生じたのは、アジアで農耕が始まった1万年前頃にさかのぼると考えられます。人間の集落や農地がゾウの自然生息域を徐々に侵すにつれて、この軋轢は強まっていったのでしょう。インドのゾウに関する伝承をたどると、紀元前5世紀ごろまでさかのぼりますが、そこからはゾウと農作物の間に軋轢が生じていたことを窺い知ることができます。やがて、次に挙げる状況のどれかが、結果として発生するのです。それは、ゾウが軋轢を避けるために、その行動圏の一部、あるいは全部を変える、ゾウが人間に駆逐される、人間が軋轢を避けるためにその地域から立ち去る、あるいは、ゾウと人間が耐えられる程度の軋轢の中で共存する方法を見出す、のいずれかです。

  ゾウと農作物の軋轢について、最も強く直接的に関係があるのは、生息域の分断の程度です。インド中央部、西ベンガル州の北部地域、ベトナム南部、スマトラ島といったゾウと人間の軋轢が生じている「ホット・スポット」はまた、ゾウの生息域の中でも、分断され、侵害されている地域のひとつなのです。ゾウのように移動する動物が、森のある場所から、農地が広がる人口過密地域に位置する別の生息域に移動すれば、どれだけ農作物との間に軋轢が生じるか想像するのは難しくないでしょう。分断が進むことで軋轢に拍車がかかるなら、解決法は分断されている状態を元に戻すことです。

 さて、アジアやアフリカに伝わる、飢えた人々の農地を飢えたゾウが荒らすという興味深い暗喩に話を戻しましょう。もし人間が、ゾウの食料資源を減らすという点で、その自然生息域を損なうなら、当然、ゾウは必要な食料の一部を農地から得ようとするでしょう。しかし、この「損なう」という言葉は、時としてあまりにも大雑把に定義されてきたため、人間による自然生息域の変容を意味しない場合があります。我々はこの「損なう」という言葉を、我々の立場からではなくゾウの立場から定義しなければなりません。実際、原生林である熱帯雨林を二次林に変えることは、ゾウのような草食動物にとっては環境容量が増加するため有益なのです。タケ・ササ類やイネ科植物といった〈雑草のような〉植物はこういった生息域に繁殖し、そこは草食動物にとって魅力的な生息域になるのです。

 自然界で肉食動物の餌が減れば、当然、肉食動物は飢えをしのぐために家畜や犬などの人間のペットを襲わざるを得なくなります。

 人間が当然自分たちの食料と考えているもの―農作物や家畜―を野生生物が食べることにより、多くの軋轢が生じるので、動物に人間の食料が奪われる最大の原因を究明するために、狩猟採集の理論を考察する必要があります。人間は、自分たちの口に合い、消化がよく、栄養の豊富な作物を重点的に栽培してきました。それなら、ゾウやサイ、シカ、アンテロープなど種類を問わず草食動物が、このように質の高い食物に興味を示さないなどということがあるでしょうか? アジアとアフリカで行われた多くの研究によると、農作物は味が良いだけでなく、たんぱく質や炭水化物、ミネラルを豊富に含むといいます。このことに加え、野生動物から見ると、農作物は一箇所に集中して存在する食料であり、これを食べないなら、野生動物は、自分たちの自然生息域であちこちに分散して生えている味の良い食物を、時間をかけて探し求めなくてはなりません。したがって、食料を求める草食動物が農地から食料を調達しようとすることは、ごく当然のことなのです。

 これと同じように、肉食動物からすれば、家畜になった動物は、野生の獲物に比べて簡単に仕留められると言えるでしょう。結局、人間が、家畜を自分たちに都合の良い特質を持つ種にしてしまったので、結果として、家畜は、捕食動物から逃れる能力を含め、自然の本能の多くを失ってしまったのです。

 生物学者のミリンド・ウェイトブ(Milind Watve)は、トラが人間を食べることに関して見事な説明を用意しました。彼はこの質問から始めました:〈どうしてトラは人間をもっと殺さないんだ?〉。というのも、人間はトラに比べて非常に弱い生き物で、トラの餌食になることがもっと多くても不思議ではありません。彼の主張によると、初期人類が死体を埋葬するようになった結果として、人間を餌にする肉食動物の〈費用と便益の関係が変化した〉のです。これにより、トラのように最適な獲物を狙う肉食動物にとっては、殺した人間の死体がほかの人間によって回収され、埋葬されてしまうと、完食できないので、もはや人間を襲うことは割に合わなくなったのです。現在、人がトラの犠牲になる事故のほとんどが、インドとバングラディッシュの両国にまたがるスンダルバンスにあるマングローブの生育地で起きていることには意味があります。ここには、漁師が1人でボートできて数日間滞在するので、もしトラの犠牲になっても発見されることがありません。このような場合、トラは人間の肉を最後まで食べることができるのです。

 動物の社会システムのせいで、その動物の雄と人間との間により大きな軋轢が生じることがあります。トラは行動圏をテリトリーとして持つ動物で、複数の雄のテリトリーと複数の雌のテリトリーとが重なっているのです。亜成体の雄は通常、生まれ育った生息域からその周囲に分散していかねばならず、人間の居住地に入った雄が、軋轢を引き起こすのです。同様に、自分のテリトリーから別の場所に移動するヒョウは、そのテリトリーが人里近くの雑木林でも、小さな森の一部だとしても、テリトリーに戻るときに、人間と軋轢を起こすのです。

 比較的自然の豊富な場所を生息域にするゾウの個体群では、雌ゾウに率いられた群れに比べると、雄ゾウが農地を荒らす割合が圧倒的に高いことを示す多くの研究結果があります。ゾウは一雄多雌の動物で、雄の繁殖の成功率は、雌に比べると相当ばらつきがあります。〈マスト(発情)〉の雄は、交尾の相手となる発情期の雌と遭遇する可能性が高くなります。雄が〈マスト〉になるには、栄養状態と健康状態が重要な要因です。したがって、〈ロウグ(群れから離れて凶暴化した状態)〉の雄ゾウだけが、自然淘汰により形成されてきた〈高リスク―高利得〉という行動戦略をはっきりと表しているのかもしれません。

 人間との間に軋轢を抱える野生生物は、哺乳類の中で最も高い知能をもつ種族でもあります。トラやゾウなどの動物では、遊びを覚えることが行動の発達において重要な役割を果たしています。したがって、ゾウの子供は母親から、どの植物が食べられるか、あるいは食べるべきかについて学び、一方、トラの子供は母親から獲物を仕留める戦略を学ぶのです。ゾウが農作物を食い荒らすことや、トラが人間を襲うことは、それぞれの個体群の中で文化的に継承された行動かもしれません。これは、研究することが難しいテーマであり、さらに多くの研究が必要です。

 異常気象も軋轢を引き起こす要因かもしれません。1982年にインド南部で起こった深刻な干ばつと、1987年に亜大陸で起こった干ばつは、どちらもエル・ニーニョ現象が原因で起きましたが、これが原因で、全てのゾウの群れが、もともとの生息域から遠く離れた新たな場所に分散、または移動することになったようです。結果として、この後、激しい軋轢が生じました。また同様に、1987年の干ばつに伴い、西インドにあるギール国立公園近くの牧畜業者とアジアライオンの間の軋轢が激化しました。これまでの進化の過程では、このような分散行動は環境順応を助けるものでしたが、野生動物が人間の大海の中に浮かぶ小島に閉じ込められている現代では、この行動は明らかに適応性のないものです。様々な仮説によると、今後10年間で、数々の極端な気象現象が原因で世界的な気候変動が起こり、その変動幅も大きくなると予想されているので、この要因が重要になるかもしれません。
 

地元の人々と動物との関係
 軋轢に対する人間の反応は、動物に対する複雑な文化的態度に根ざしており、これは長い相互作用の歴史の中で形作られてきました。宗教や地元の環境、生態系、経済、社会組織など全てが、様々な動物やその動物の破壊行為に対する人間の態度を形成する上で役割を果たしているのです。よって、ゾウが神聖なものと考えられているインドの一部地域と、ゾウの肉を食べる地域やゾウを単に農業の天敵と考えているアジアの一部地域とでは、ゾウに農地を荒らされた農民の反応はまったく異なります。アメリカのイエローストーン国立公園にオオカミを再移入させることに抵抗が起きた問題は、経済的利益が、たとえ小さくとも、人間の動物に対する態度(もっと一般的には自然に対する態度)に影響を与える大きな要素となる可能性があることを示す適切なケース・スタディーを提供しています。

  狩猟採集から農耕牧畜を経て現代の産業都市社会に至るまで、様々な形態の生活を営む人々や科学者は、どのように軋轢に対処してきたのでしょうか? これは明らかに、広範で複雑なテーマであり、この講演で全てを取り上げることはできません。ここでは、ごく簡潔にこのテーマを検証しようと思います。

 まず、初期人類の社会文化的進化とその信仰に関する宗教上のシステムに話を戻し、人間と自然、さらには人間と進化との関係に、これがどのような影響をあたえるかを考えなければなりません。先ほど、初期人類による埋葬の習慣の起源について言及しました。この習慣は、人間が巨大な肉食動物の餌食となる恐怖から部分的に解放される重要な契機となった可能性があります。

 自然崇拝と精霊崇拝は、いわゆる〈原始的な〉社会では一般的なものであり、これにより人間と環境との親密な結びつきが保たれました。トラは神秘的とも言える動物ですが、その生息域に広がるトラに対する様々な崇拝を、一例として取り上げてみましょう。トラと生息域を共有する先住民は、トラに対して畏怖の念を持っていました。つまり、この超自然の動物の魂は人間に乗り移ると考えていたのです。インドからインドネシアに至る地域では、トラはシャーマンと関係があるとされ、トラに関して複雑なシステムを持つ儀式が生まれました。このようなわけで、トラは、たとえ村を襲ったとしても、殺されることはめったにありませんでした。トラを殺す必要があるときは、複雑な儀式を行い、死んだトラの魂を鎮めました。そうしなければ、トラが蘇って復讐に来るとされていたからです。ここで重要なのは、アジアの熱帯ジャングルの奥深くでは、トラと人間の伝統的な相互作用は、害をなした動物の、あるいは害をなさなかった不幸な動物の、時折の殺傷に留まっていたということです。このような状況下では、特に、人口密度が今と比べものにならないほど低かった時代では、人間と動物の共存は可能だったのです。

  アジアやアフリカでは植民地時代に入ると、人間と野生生物の関係に根本的な変化が起こり、それが軋轢に対する地方での考え方に影響を与えました。地方の王や支配者は動物の狩りを日常的に行っていましたが、狩りの対象は一部の動物で、例えば、インドの王族は、決してゾウの狩りを行いませんでした。当時のような初期には、このような狩りの影響もむしろ限定的だったといえるでしょう。〈スポーツ〉としての狩り(いわゆる大物狩り)は、植民地の支配者にとって大きな関心事となりました。歴史家ジョージ・マッケンジーの解説によると、大物狩りは「中世の騎士道をその時代で再発見するもの」で、儀式化された戦いと殺戮に関係があり、「男らしさ」の象徴でした。アフリカとアジアには〈手に負えない猛獣〉が非常に数多く生息しており、このような手に負えない猛獣を上手く支配できた者はいませんでした。トラやゾウといった動物のスポーツとしての狩りは、〈未開の〉地域を征服することの象徴でもあったのです。よって、植民地の統治者は派手に狩りを続け、地方の支配者も負けじとばかりこの狂乱に参加したのです。

  しかし、それは、〈スポーツとしての狩り〉から〈賞金稼ぎとしての狩り〉への橋渡し的な段階にすぎませんでした。当時、トラやオオカミを始め、あらゆる動物を殺した証拠を提出すれば、一般の人も賞金をもらえました。このことが原因で起きた虐殺は甚大な被害をもたらしました。歴史家のマヘッシュ・ランガラジャン(Mahesh Rangarajan)の推算によると、1875年から1925年にかけて、インドであらゆる形態の狩りによって殺された動物の数は、トラが7万5000匹、ヒョウが10万匹以上、オオカミが20万匹以上で、この数は、それぞれの現在の生息数よりもはるかに多いのです。このように、賞金稼ぎとしての狩りは、狩りの正当性と規模を変え、インドの王族や植民地の支配者から一般大衆にまで及びました。これが人間と動物の関係における、パラダイム・シフトになったのです。皮肉にも、これにより、野生生物と人間との軋轢の事例は大幅に減少しました。

 独立後のインドでは、開発のために自然生息域は大幅に変容しましたが、保全への対策が講じられ、特定の野生生物の個体数が増加した結果、野生生物と人間との軋轢はより多く認識されることになりました。
 

軋轢から共生へ
  現代の世界では、社会が責任を持って、貧しい階層の人々―野生生物と生息域を共有する辺境の農民や村人―の生活に野生生物が与える影響を最小限に抑えるよう取り組まなければなりません。人間と野生生物の共生を促進するには、経済的動機と文化的誇り、伝統的な知識と現代の科学技術をそれぞれ融合した実践的な取組み進めていく必要がある、と私は確信しております。

 野生動物と人間の軋轢を抑える方法は、地域特有のものであるだけでなく、その野生動物に合わせたものであり、適切な科学的根拠にしっかりと基づいている必要があります。また、経済的にも合理的な方法でなければなりません。この講演の結論部分では、軋轢を緩和する様々な取り組みについてのみ、簡潔に言及したいと思います。

 “ゲーム・フェンス”、つまり電気を流したフェンスや空堀といった野生生物を防ぐバリアは、我々の居住地や農場に動物を近づけないために使われる最も一般的なものです。ゾウのように知能の高い動物に対しては、このようなバリアの効果は限定的です。ゾウは電気をほとんど通さない牙を使えばフェンスを破れることを学び、あるいは、フェンスに向かって木を倒すことさえします。また、土を掘りだして空堀にかけて埋めてしまい、そこを見事に渡ってしまうのです。

 インドやケニアなどの政府は、このようなバリアを広範囲に設置しましたが、この策が失敗に終わった原因のひとつとして、守るべき居住地や農地を抱える地元の共同体の参加がなかったことが挙げられます。理由はいたって単純で――人は、〈もらいもののあら捜し〉をしたがるからです。しかしながら、自分たちの時間や資源の一部を提供したのであれば、農民は野生生物の破壊行為を防ぐ取り組みに意義を持って、より積極的に参加しようとするでしょう。

 野生動物に関する問題に対処する際には、伝統的な知識の重要性を決して過小評価すべきではありません。最近、私はケニアを訪問したときに、複数の農村がアカトウガラシとタバコの粉を田畑の周りに撒いてゾウの侵入を防いでいることを知りました。ノア・シタティ(Noah Sitati)博士はこの着想にひとくふう加え、驚くほど簡単な方法で強力な調合物を作りました―廃油にトウガラシの粉とタバコを混ぜてロープに塗り、そのロープをトウモロコシ畑の周りに張り巡らしたのです。限定的な実験でありますが、アフリカゾウはこのようなロープを張り巡らした畑には侵入しないという結果が出ています。我々は今、インドの複数の地域でより大規模にこの方法を実践し、アジアゾウに対してもこの単純な方法が有効か調べています。

 もし我々が実際的な取り組みを進めるなら、軋轢を減らし、より大きな視点から見た保全の最終目標に向けて人々の協力関係を構築するために、有害な動物を駆除して個体数を調整することも必要です。したがって、人間を殺すような気性の荒いゾウは捕獲するべきですし、人を食べるようになったトラも捕獲するか駆除する必要があるかもしれません。そのような凶暴な固体を見分ける際には、可能であるなら、地元の人々の知識と最先端の科学技術(例えばDNAに関連する技術)の両方を用いるべきでしょう。

 ひらめきが実に役立つことがあります。かなり昔ですが、インドの都市、コルカタのある科学クラブに所属する頭脳明晰な人が、人間が危険な森に入るときは、後頭部に仮面をつければどうかと提案しました。トラは一般的に背後から人を襲うので、仮面をつけていれば、人間がトラに正対していると勘違いするのではないかというのです。信じられないことですが、この単純で陳腐な方法は、危険なスンダルバンスのマングローブのジャングルに入る人にとって驚くほど有効で、ある迷信によって人々が仮面をかぶらなくなるまで続けられました。今では、電気ショックを与える人形によって条件付けられたトラは漁師を避けるようになっています。

 知能が高くカリスマ的な動物に対処する場合は、我々の有利になるように現代科学技術を取り入れ、状況に合わせて調整していくべきです。私たちのチームはまた、西ベンガル州でGPSを活用した衛星遠隔計測法を用いて、放れゾウに対する「事前警報システム」を設置するという実験を行っています。毎日地図上に記入されたゾウの位置情報がe-mailで野生動物を扱う当局に送られ、このように危険なゾウの位置を常に把握し、問題の発生を事前に防ぐことに役立っています。この科学技術は、その目的に完全に適合するまで、まだ改良が必要ですが、おそらく今後10年間で実現可能でしょう。

 多くの国で生じている軋轢の大部分は、お粗末な土地利用計画や、土地利用政策の欠如に原因があるといえます。ゾウやトラなどの大型穂哺乳類に関する軋轢を緩和するには、生息域が分断されている状況を元に戻す必要があります。野生動物が長い距離を自由に動き回れるコリドー(回廊)は、このような状況下で、きわめて重要になっています。インドには、ゾウのコリドーを守る綿密な計画がありますが、実現するためには資金が必要です。

 我々はまた、野生生物を保全して軋轢を避けるために、短期的な計画から環境ぐるみで保全する戦略的長期計画に軸足を移していかなければなりません。これは、農業、森林管理、観光事業、および野生生物の保全事業を含む総合的な計画になるでしょう。最終的には、地元の人々が自然資源を利用することを頭ごなしに否定するのではなく、彼らにも有益な保全事業を、彼ら自身で推進してもらうべきです。それが実現したときにのみ、自然遺産のなかにある彼らの文化的な誇りが、いつまでも続く貧しい生活への不安に打ち勝つことができるのです。10億以上の人間が暮らすインドで、ゾウやトラが生き残ってこられたのは、神聖な動物とみなされてきたという理由だけで、その信仰を強化することが重要だと私は信じて疑いません。

 私は、人間とゾウの調和の取れた共存がこの地で実現することを夢見続けてきましたが、これからもこの夢を追い続けるつもりです。ありがとうございました。
 

  講演会テキスト (PDFファイル)     (315KB)

(英文テキストは英語サイトにあります)

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