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One with Nature: |
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アン・ウィストン・スパーン コスモス国際賞受賞記念講演 2001年度コスモス国際賞を受賞し大変光栄に存じます。「自然と人間との共生」を推進するというコスモス国際賞の目的は、今日最も緊急を要する問題の一つだからです。 人間の生存は、人間とランドスケープ−都市、建物、庭、道路、川、野原、森を持続可能な関係にしていくことにかかっています。大気、大地、水、生命、文化が相互に関わりあっていることを意識しつつ、そういった要素を意識しつつ、生命を持続させる新しい方法で調整することによって、機能的で持続可能であり、意義があって巧みなランドスケープを形作ることにかかっているのです。 ランドスケープ・アーキテクトでありプランナーであり、同時に教師、学者、著作家、写真家として私は、今申し上げた目標の達成に専心してまいりました。以前は、この目的の達成を妨げるもの、それは、知識の不足であると考え、その不足を埋めようと最初の本を書きました。それが「The Granite Garden: Urban Nature and Human Design (邦題:アーバンエコシステム)」です。1984年にこの本が出版された後、私は、科学者や博物学者に限らず、なんと多くの人々が、都市を含めた人間の居住地が自然界の一部であるという紛れもない事実に抵抗するか、あるいは無視していることを知って驚きました。自然とはどういうものかという概念は、強い意識と信念から来ることに気づいたのです。こういった考え方は、非常に個人個人のもので、多種多様であり、ですから、そういった考え方を変えるのは、単に説得力のある主張を展開するかどうかの問題ではなく、知性と心の両方に届かなければならない問題なのです。写真やランドスケープの設計は、人間が自然における人間の位置を感じ熟考するための強力な手段です。 私は今では、自然と人間の共生を推進できるかどうかは、単に知識にとどまらないそれ以上のものにかかっていると確信するに至っています。知識と同じくらい重要なのは共感すること(つまり、人が、他の存在、もの、あるいは場所が自分と同じ意識を持っていると思うこと)と、想像力です。私の最近の著作である「The Language of Landscape」と、私が現在執筆中である「Telling Landscape」は、人間が、自然と文化双方の産物としてランドスケープを読み解く手助けになり、自然を回復し、文化を尊重する新しいランドスケープを思い描く刺激になればというのが執筆の目的です。 偉大な俳人芭蕉は、芸術家にとって大事なことは、一年の四季を通じて自然とともにあることだと言っています。これは芸術家だけではなく、誰にとっても、特に都市の住人にとって大事なことです。例えば、ボストン市の海岸線沿いに、日が暮れてから東をみると、アーチ状になった黄昏時の日の光、地球の影、全ての生命を包む自然の永久の営みを思い起こさせるそういった景色がみられます。 |
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| また、先史時代南イングランドを横切る商業ルートであったリッジウェイの初夏は、こういった感じです。 |
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| 私は、芭蕉と日本の詩である、連歌、俳諧については初歩的な知識しかありません。 しかし、この日本の伝統芸術は、自然の営みと調和した人間の居住区をつくるための重要な洞察を与えてくれるように、私には思えます。ハルオ・シラネ氏は、彼の著書「Traces of Dreams: Landscape, Cultural Memory, and the Poetry of Basho(邦題:芭蕉の風景 文化の記憶)」で、「俳諧」を、二人以上の詩人によって通常詠まれる多くの短い詩、つまり俳句の連なりであると説明し、俳諧では、「詠み手はそれぞれ、先立つ句が作り出した詩的世界を受け取り、同時に新しい独自の世界を開く」と説明しています。この変更可能な、集団による創造的プロセスは、ランドスケープを形づくるプロセスと似ています。ランドスケープは全て、庭であろうと、農場、町であろうと、複数の作り手があり、彼等は互いや自然と対話しています。ランドスケープは、ランドスケープの作り手が、地方の文化伝統及びその地方の自然の状態の両方にどう応答したかを具現化しています。例えば、米国西部のハイ・プレーンズは乾燥しており、広々としています。木々は殆どなく、水も人間の集落もまれです。農家はそれぞれで、厳しい自然から家を守るためや燃料に使うために周りに木を植えています。 |
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あらゆるランドスケープでは、対話が続いています。「白紙状態」のように何も対話がないことはありません。その対話に加わらねばなりません。ランドスケープをつくるあらゆる作業は、芭蕉が仲間達と詠んだ俳諧の一句一句に似ていて、今現在行われている対話を尊重し、広げ、次の行動を刺激する表現であることが必要です。俳諧を構成する短い俳句の一句一句のように、時と場所の個別の特性を強め、一見異質な物をつないでいこうと努力するべきなのです。
私たちは誰もが、都市で、郊外で、田園地方で、ランドスケープを読み解き、読みとったものを理解し、今度は新しい知恵を生み話し、ランドスケープの表現力を育てる方法を学ぶことができます。まるで私たちの生活がそれにかかっているかのようにです。というのも、確かにそうなのです。 |
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The Granite Garden: Urban Nature and Human Design |
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自然は、どこにでもあり、都市は自然の一部です。都市の自然は、庭などを通じて育てる必要があります。駆逐するべきものでも抑制すべきものでもありません。庭は、大都市圏も含め、都市を心に描き直すための力強く有益なメタファーです。このメタファーが私に最初の著作である「The Granite Garden: Urban Nature and Human Design」を書かせたのです。うまくいった庭というのは、人間の文化と自然界の調和の表現です。そういった庭では、有益な管理を実行する取り組み、人間の力の及ばない自然現象が存在することの認識、この両方が存在します。庭は決して100%予測可能な世界ではありません。人間は予測しえない状況が発生することを踏まえつつ庭を造ります。
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都市の再建と都市における自然の回復 |
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1984年以降、私は、「アーバン・エコシステム」で提唱した方策を研究し続けてきました。環境の質、貧困、人種といった問題に対応するために、スラム街で実験的なデモンストレーション・プロジェクトについて研究し、また指導してきました。14年間、ウェスト・フィラデルフィアは、生命を維持しつづける方法で都市のランドスケープを変化させることに関してのアイデアを試す研究室でした。
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アメリカユクノキと忘れられた小川 |
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古い図書館の側に植えられた一本のアメリカユクノキは、すぐに葉を出し、花を咲かせ、実をつけ、種を蒔いた。しっかりと根をはり、煉瓦が敷き詰められた広場の下から空気と水を吸い込んだ。学生達はユクノキの下で毎年春になると腰をおろし、自分達の名前が呼ばれるのを聞き、木陰を喜び、ユクノキの木陰を図書館へ歩いていき、6月には麝香(じゃこう)の香りのする花を楽しみ、10月には赤煉瓦の上に落ちてくる黄色い落ち葉を蹴って歩いた。
ユクノキは年々育っていった。赤い煉瓦が黒ずみ、図書館の建物は老朽化した。人間たちが図書館の修理にやってきて、たくさんの道具や、タイルや袋をユクノキの周りに積み上げ、煉瓦の下の土を塞いだ。2年後、図書館は再び開館し、有鉛ガラスは輝き、黒くなった石は明るくなった。「なんて優雅」と人々は言った。その秋、ユクノキは9月に早くも葉を枯らした。 5月、ユクノキは花を咲かせた。いつもより早い時期にあふれんばかりに花を盛れた。何千という匂やかな白い花が長い房になって咲いていた。花びらが煉瓦を覆い、芝生の上を風に乗って舞った。「なんてきれいなんでしょう」と人々は言った。けれど、悲しいことに、数年間の間の芽痕は小枝の先に固まってついていた。花がたくさん咲くのは枯れかけている徴候であり、種も広場の土の上に落ちることができなかった。人々はユクノキを賞賛し歩いた。彼等はそのユクノキが語る言語がわからなかったのだ。かっては一本のユクノキがたっていた。でももうこの場所にユクノキが育つことはない。でもなぜかを知るひとは殆どいなかった。 ある日道が崩れ落ちた。両側の歩道は黒い深い割れ目に崩れ落ちた。人々は見下ろし、地下に茶色い激流を目にして驚いた。「何年も前にこんな穴にトラックが落ちた」と誰かが言った。「昔、一晩で家々が1ブロックまとめて穴の中に落ちたことがある。」とまた誰かが言った。どこの話かはっきりはわからなかった。6ヶ月後、穴は埋め直され、穴のあいた道路は修理され、両脇の歩道は造り直された。何年もすぎて、新しい住民たちが越してきたが、水がしみだし、道は水浸しになり、壁にはひびがはいった。 かっては川の流れがあった。人間がそれに名前をつけてその名前で呼び始めるずっと前。つまり、ダムがその力を発揮し始める何千年も前から、流れ、曲がりくねり、流れ落ち、溜まり、その水の流れを人間は下水道に閉じこめ、その上には家を建てた。今や、雨水や下水で膨れ上がった、埋められた小川はパイプを破裂させ、土に浸み、地下を浸水させ、建物の土台を崩壊させている。暴風雨の時には、茶色い水が水の引き入れ口から、マンホールから道にあふれ出し、処理施設では対応仕切れない程の水量となり、街の飲料水の源である川へとなだれ込む。 板張りの家や花や野菜でいっぱいのコミュニティの公園の近くにある草や低木が生い茂った空き地は、誰も知らない蛇行した線に沿ってある。この人の目に触れない線上にたつ学校では、体育館が雨が降る度に浸水する。一年に一度、教師は生徒をバスに乗せ、「自然」を実際にみて研究するために街の郊外へ連れていく。 昔空き地だった場所には、新しい家々、赤煉瓦、黄色い外壁、細長い形をした緑の芝生、開かれた門扉、近くの古いめちゃめちゃになった家や荒廃した土地と対照的に建っている:「初めて不動産を購入する人は、借りるよりも安くこの家を手に入れられます。」という看板がたっている。これらの家々は、寄付金の小銭と団体の基金を元手に教会が建てたのだ。土地は市から譲りうけた。「なんてきれい」と人々は言う。誰もなぜこの土地が空いていたのか、なぜ水溜まりがあるのか、なぜその土地の名前が「ミル・クリーク(水車場の小川)」なのか不思議にも思わない。 希望のしるし、警告、それらは全てその辺にあるのだが、見えない、聞こえない、見つけられないのだ。殆どの人間はそういったしるしをもはや読みとることができない。氾濫原に住んでいるのかどうか、都市の一区域の再建を行っているのか地区の崩壊の種を蒔いているのか、彼等が飲料水を保護しているのか汚染しているのか、一本の木を大事にしているのか殺してしまうかのかわからない。殆どの人々はその言語を忘れてしまって、空き地の野の花や若木が生命の再生力について語る言葉を読みとれない。多くの人々は、町の公園の乱雑な秩序の美しさを理解できない。彼等にはランドスケープの言葉が聞こえないし、見えないのだ。 建築家の設計図には、根はなく、生長もなく、ただ緑の標識と建物が図の上にあるだけだ。まるで大地が平坦で空白であるかのように、木は物体であって命ではないかのように。プランナーの地図には、埋め立てられた川も流れもなく、ただ道と、所有地の境を示す線と、将来の利用についての提案があり、まるで過去は現在には存在せず、都市はただ人間の建造物であって、生きた変化していくランドスケープではないようだ。子供達の教科書には理科から歴史の教科書に至るまで、近所の光景は載っておらず、直接体験から知り得る知識については提案も要求もしていない。ただ、方程式と遠く離れてた場所と人について述べているだけで、まるで数字や言語が地域的な意味を持たないようであり、またそれらの現在には過去はなく未来もなく、生徒は容器であって登場人物の1人ではないようだ。 枯れたユクノキは、私が最初にみたユクノキだった。その匂やかな花は、大学院にはいった最初の年私を驚かせた。同じ年に私の部屋の近くに穴ができ川が現れた。ユクノキは枯れたが、未だに私が日々たどっている道に存在する。忘れられた小川は今や私の仕事の心臓部である。あの当時、私は枯れかけた木々や埋めたてられた川のことなど何も知らなかった。今では、私は、傾斜する谷、沈む道が語るもの、芽痕が語るものを読みとる方法を学んだ。ランドスケープは複雑な言葉に溢れ、道が、土地が、大気が、水が、語ったり書いたりしている。人間はストーリーを語る動物であり、ランドスケープのメタファーで考えることができる。例えば、根をおろすことはコミットメントを意味し、根を引き抜くのは外傷を意味する。木がその場所に根をはって生きているように、言葉は、ランドスケープに根をはっている。 ランドスケープの持つ意味は、隠喩的なだけでなく、形而上学的であるが、真実である。ランドスケープのメッセージは実際的なのだ。理解は、滅亡ではなく存続を意味するだろう。ランドスケープの言葉を失う、あるいは聞いたり読んだりできないと、身体と精神を脅かすことになる。というのも、ランドスケープの言葉の実際的な側面と想像的な側面は常に共存してきたからだ。生命をしかるべく機能させているこの言葉を学び直すことは急務だ。 このユクノキと小川の話は単なるたとえ話ではありません。本当にあった話なのです。ウェスト・フィラデルフィアの小川を埋め立てた土地に家を建てた人々、同じ場所に建て替えた人々は、ランドスケープの言語が読めず、小川の存在を読みとれなかったのです。フィラデルフィアのキャンパスでユクノキが過剰に早すぎる花をつけた、それを賞賛した人たちは、芽痕が語っているものに気がつかなかったのです。彼等は花が強く訴えているものを読みとれず、土壌や、広場や、建築会社とユクノキの関連を想像できなかったのです。私は学校の校長、彼は建築家でしたが、彼を説得して、建設会社のトレーラーや器具を置く別の場所をみつけてもらおうと努力しましたがうまくいきませんでした。ユクノキが結果として枯れてしまうであろうことを納得していないのか、気にしていないのか、彼は拒絶しました。 私はランドスケープの言葉は私たちの母国語であると確信しています。ランドスケープは人間の元々の住処なのです。人間は、空の下で、地上で、水のそばで動植物と接しながら進化してきたのです。あらゆる文化において、誰もが心身にこの遺産を保持しています。人間は触れて、見て、聞いて、匂いをかいで、味わって、ランドスケープで暮らし、ランドスケープをかたちづくってきました。それは、人間がランドスケープがしたこと全てを説明する言葉を手に入れる以前のことです。ランドスケープは最初の人間の教科書であり、他の記号やシンボルが発明されるまで、人間はそれを読んでいました。雲、風、太陽は、天気を知る手がかりであり、さざ波や渦巻きは、岩や水中の生命のしるしであり、洞穴や岩礁は避難場所になり、木々は洪水や水の案内であり、捕食者の存在を警告するのは鳥の鳴き声です。ウルル(エアーズロック)は、オーストラリアの中央部にありますが、多くの方法で読みとられます。ランドマーク、避難所、乾燥地帯で水や食料を確保する場所などです。ウルルは何千年も前からアボリジニの畏敬の対象でした。 |
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ランドスケープの言葉は「話し」、書き、読み、想像されます。ランドスケープを「話すこと」と読むことは、生活の副産物であり、生存のための戦略の一つです。つまり、避難所を創り、保護を与え、食料を育てることです。ランドスケープを読み、形づくることは、学ぶと同時に教えることです。世界を知り、考えを表現し、他人に影響を及ぼすことなのです。言語としてのランドスケープは、考えを具体化し、想像を可能にします。そうして、人間は子孫たちと経験を共有します。祖先が彼等の価値観と信念をランドスケープに刻みつけたように。祖先はそうして、文学の豊かな源泉を、つまり自然と文化の歴史、計画的なランドスケープ、詩、力、そして祈りを遺産として残しました。ランドスケープは実際的であり、詩的であり、修辞であり、論争でもあります。ランドスケープは生命活動の舞台であり、洗練された建築物であり、意味を運ぶ運び手でもあります。それが言葉です。
その土地特有のランドスケープの統一性は、作り手と場所の対話から生まれ、年を経て微調整されていきます。ランドスケープは、降雪と屋根の勾配、季節の太陽の角度と屋根のひさし、風の方向と生け垣の位置、栽培状況と畑の寸法、家族構成と定住パターン、それぞれの間の一致について語っています。 ランドスケープの意味は、複雑で、層に分かれていて、曖昧で、決して簡単でも直線的でもありません。川は流れ、与え、創造し、破壊します。道と境界を同時に、時には門構えさえです。火事は焼き尽くし、形をかえさせ、新しくします。円形のものは階層的で…中心があるのですが…まだ非階層的で、円周に沿った全てのポイントは中心から等距離です。 二つ以上の要素を一緒にしてください。そうすると、潜在的な意味とつながりがでてきます。神聖なランドスケープにおいて、動き、道、表玄関は、しばしば重なり合い、それらが出あう境界では精神的な変化をおこさせます。ストックホルムの「森の斎場」の「思い出の丘」へと上っていく広い道は、最初は急ですが、石の階段は高さがなく、接地部分には石の粉を厚く敷いており、12段毎に踊り場状の場所をつくってあり、 上りやすくなっています。それから、坂が次第になだらかになり、丘の頂上にある開かれた入り口を通って木々の間を抜けていき、低い塀の中で休憩します。上り坂の最初の方では、階段は中腹にあり、そのスロープは上り手をしっかり捉えてくれます。最後に、木々と塀のフレームが取り囲みます。形と素材は、道を歩き慰めを得る、訪れたものにそういった経験をさせてくれます。そこにある全てが、設計者という語り手が意図した意味に合わせて、動きのプロセスも、そして深い悲しみのプロセスもいくぶん変化させてくれるのです。 |
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ランドスケープの言葉を回復し新しくするということは、新しいメタファーをみつけ想像し、新しいストーリーを語るための、新しいランドスケープを創造することです。ジョン・バーガーは、異なる文化の間に横たわる深い淵を越えて、共通部分と固有の部分を解釈する経験の言語について説明しています。生態学者のアルド・レオポルドは、人間もその一部である大きな動植物の生息環境を脅かすような先見の明の無さに陥らないよう、人間が「山の身になって考える」ことが必要だと書いています。人類学者のグレゴリー・ベイトソンは、人間は、「どういった生物がいるかという観点で」言葉を話すことを学ばなければならないと言っています。それは、別個の物としてではなく動的な関係としてこの世界を読み取り、複雑な生物系を管理する方法を実践するためだと言っています。ランドスケープが話す言葉はそのような言葉なのです。こういった点で、世界は組織され、生き物は行動します。人間は、山の身になって考え、人間の命と他の生物の命を同様に維持するランドスケープを形成することができ、アイデンティティーを育み、同時に多様性を賞賛することができるのです。
今や、新しい話を語り、以前から存在する二者択一の苦しい選択の問題をもう一度考え直すべき時なのです。どう世界で生き、同時にどう世界を保つべきか、どう伝統を維持し同時に革新を促すべきか、どう自由を推進し同時に秩序をはぐくむべきか、どう部分部分を認め同時に全体を把握すべきか。逆説とは、一見矛盾しているものの融合であり、今ほどこれが重要な時はありません。 |
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| このパラドックスなどは、京都の西芳寺の庭に存在しますが、通常のランドスケープにも溢れています。たとえば、オーストラリアのシドニー港の水たまりにも。これらは、今はどうで、どうなっていく可能性があるのかを知る手がかりです。 | ||
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ランドスケープの言葉は、我々に、ランドスケープ全体を意識し形作るよう促します。ランドスケープを読み、流暢に話すことは、今行われている対話に気づき、他の話し手のストーリーを評価し、つかの間の対話と永続的な対話を区別し、会話に加わるための一つの方法です。ランドスケープの言葉は、私たちに、同じ状態でとどまっているものは何もないこと、破滅的な変化と積み重なった変化が現在を形作っていることを、私たちに思い出させてくれます。そうして、私たちは他の方法では経験できないであろう過去を認識し、可能性を予測し、未来に思いをめぐらし、選択し、創造することができるのです。私たちは、目の前にはないもの、今日の草原に未来の森林を「見」、そして根が枯渇し窒息したために枯れかけているユクノキを「見る」ことができるのです。あるいは、乾いた川底のそばの木に、建物の土台のひび割れに、都市の舗装道路の陥没箇所に地下水を「見る」ことができるのです。あるいは、埋め立てられた下水道にとってかわられた水流、空き地、汚染された川の間にどういった関連があるか、その水を浄化しつつコミュニティを再建することを想像したりできます。加えて、私たちは詩を心に描くことができるのです。
例えば、オーストラリアの建築家のグレン・マーカットが設計した家を見てみましょう。グレン・マーカットは、太陽光や、植物の育ちかた、水の流れ、風のプロセスを調べるのと同じくらい念入りにクライアントの生活パターンを調べます。この家は、オーストラリアの海岸沿いのビンジーにありますが、この場所とここに住む人々の毎日の、そして季節毎のリズムを表現しています。屋根の輪郭は、羽を広げて飛んでいるカモメのシルエットをまねています。屋根の樋は、内側に傾斜している屋根の端ではなく、中央にあります。両端の円柱状のものが縦樋です。屋内の天井の形と、廊下の形は、水流が流れる道筋をあらわしています。雨は屋根の上に音をたてて降り、樋のなかに流れ込み、円柱状の縦樋を流れ落ちます。ホールの両端にはガラスの扉があるのでそこから見えます。そして、地下のタンクにたまっていきます。この家の貯水槽です。水は、空の水源から地下の貯水槽まで繋がっています。必要な対話は詩的になり、毎日が非常に美しいものになります。優雅な節約は、マーカットの作品の特徴ですが、彼の環境美学を表現しています。 ランドスケープの言葉におけるマーカットの技能は、彼のクライアントを、彼等の命を維持するが大抵軽視されているプロセスと慎重に対話させます。光や空気がはいってくるように、あるいは強くしたり遮断したりするために、人々は、窓や壁を調整します。その過程は、風を捉えたり避けたりするためにボートのセイルを調整するようなものです。このプロセスから人は学ぶのです。こういった家に住んでいる人たちには、光の変化、風の流れ、雨降り、貯水漕が雨水で満たされる、そういったことが見えるようになり、聞こえるようになり、触れることができるようになります。自然のプロセスとこのような対話を住人にさせる住環境―建物、道、下水道、公園などですが−を想像してみてください。 このような場所に住むと、人はランドスケープを読み取り、語る方法を身につけ、一見無関係の現象の関係を理解し、適切な応答を表現する方法を学ぶことができます。そのような住処は、共感を喚起し、人間の命と、他の生物や私たち皆が住む場所との連続性について考えるようになります。共感、つまり他のものが自分と同じ意識を持っていることが想像できること、特に他の人間や他の生物を思いやりをもって理解することができることは、最も重要な人間の能力の一つに違いありません。ランドスケープにおける能弁は、生き残るためだけではなく、共感的想像にとっても役に立つのです。 オーストラリアのビンジーにあるこのマーカットの家の設計とウェスト・フィラデルフィアに私が提案したものの両方を知っていたとしても、最初からこの二つが類似物であると気づく人は殆どいないでしょう。でもこの二つは、片方が一家族のための家であり、他方が何千という家族の居住区のプランだとしても、類似物なのです。ビンジーの設計と、ウェスト・フィラデルフィアのプランは、両方の設計者の考え方、仕事の仕方が同じなのです。 1987年から、私の生徒たちと私は、ミル・クリーク地区の住人と共同作業を始めました。私たちは教え、そして学んできました。コミュニティ・ガーデンのような小さなプロジェクトをデザインしましたが、それは建設され、時を経ても維持されています。それから私たちは、より大きな都会のランドスケープを変貌させるプランを練りました。共同作業はインターネットを利用して進められました。このデジタル・データベース、活動、提案は全て、ウェスト・フィラデルフィア・ランドスケープ・プロジェクトのサイトでみることができます。ペンシルバニア大学の私のクラスの生徒たち、現在ではマサチューセッツ工科大学(MIT)の生徒たちは、ミル・クリーク地域の空き地に、湿地や、水の庭、環境学習地域の設計をしました。彼等は都会の分水界を分析し、暴風雨水発見施設でもあるランドスケープ・プロジェクトで、どのように暴風雨水が集められるか証明してきました。それから、都市の環境カリキュラムを立案・実施するためにサルツバーガー・ミドル・スクールの教師と生徒たちと共同作業をしてきました。これは、たくさんの空き地がそばにあるミル・クリークの氾濫原の埋立地にあるこの学校を変貌させてきたプログラムです。 ウェスト・フィラデルフィア・ランドスケープ・プロジェクトは、ランドスケープ・リテラシーをコミュニティの開発の基礎として位置づけました。サルツバーガーのミル・クリーク・プログラムに参加した子供たちはそれぞれランドスケープのストーリーを知り、ミル・クリークのランドスケープを読みとることができます。かって大地の上のどこに水の流れがあった、どこの川沿いが先史時代の居住区であったか、綿や毛糸を編むために水車をどこで動かしていたか、どこが埋め立てられ、家が建てられたか、どこの下水道の上の土地がもう一度空き地になったか。プログラムに参加した生徒たちはミル・クリークの未来がどんなものかビジョンを描きます。どのように近隣地区が建て直され、水が元通りになり、どのように暴風雨水が屋根や、通りや歩道に流れ落ち、そして、水が下水道、下水処理施設や川に流れ込むのを遅らせるための池に流れこんでいくのか考えます。 目標は、コミュニティの再建の核心を学校をおくことでした。子供達が市民の技術を学ぶようにです。場所について知る方法、その場所の未来を思い描き築く方法、それを大事にする方法を学ぶようにです。池や、蝶の飛ぶ庭や、堆肥の貯蔵庫のある野外教室が近くのコミュニティ・ガーデンに、学校のための生きた研究室として建てられました。サマー・プログラムでは、子供たちが教室を設計し、建て、それをメンテナンスするのを手伝いました。又、子供たちは、ウェブサイトを構築する方法を学び、提案や設計や業績をインターネットで発表します。このプログラムのハイテクな部分は、ペンシルバニア州知事、ビル・クリントン大統領にも認められています。大統領は2年前サルツバーガーを訪問しました。最終的に、1999年、フィラデルフィアの水道局は、サルツバーガー・ミドル・スクールの近くの空き地にデモンストレーション・プロジェクトを計画、設計、建設することを決定しました。合流式下水システムのオーバーフローを減少させるための暴風雨水発見施設と、このスクールのための環境学習エリアからなる施設です。このプロジェクトは、暴風雨水エンジニア、ランドスケープ・アーキテクト、ミドル・スクールの教師・生徒、コミュニティの住人たちによって考えられた共同ビジョンです。 シェーマス・ヒーニーは、詩人の役割を、他の人には隠れてみえないものの存在を共感を通じて感じ予言する占い師の役割にたとえています。例えば、地下の水流を感知し、地面をたたいて泉を出す水脈占い師のようなものだと。ヒーニーは、この力を「そこに在るけれども隠れている、だけど真実であるものに触れる才能であり、潜在資源とそれを表に出し開放してほしいと考えるコミュニティの間を取り持つ才能」であるといっています。詩のように、写真と設計はランドスケープに何が隠れて存在するのかを占う強力な手段です。「言葉はそれ自体ドアである」とヒーニーは言っています。写真や設計もそうです。写真家は、景色をフレームに納め、ある特徴について対話し、他は排除します。このフレーミングを通じて、人は、他人の心が入ってこれるようなドアを創造しているのです。共感的設計を通じて、つまり建築、ランドスケープ・アーキテクチャー、都市の設計とプランニングといったものを通じて、人は、伝統的なものと新しいもの、人間以外のものと人間、自然と文化を融合させる潜在能力を用いて、いまだ不完全ではあっても一つの世界を思い描くことができます。これは、安藤忠雄氏の六甲の教会が示唆していることです。 |
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設計者はストーリー・テラーです。設計は、新しいストーリーを想像し、話し、古いストーリーを復活させる方法であり、複数の選択肢からランドスケープのビジョン選択するプロセスであり、未来の可能性を語るものです。設計が生み出したもの、つまり庭、家、道路、水のシステム、近隣地区、都市、これらには意味があり、その社会の価値観を表現するための生活環境です。私たちは、建設や植物を植えるプロセスを通じて、これらの意味を伝えたり、使ったり、無視したりします。最初は夢であったものに私たちは実際に住んでいるのです。![]() Photographs and Captions (c)2001 Anne Whiston Spirn |